【ギリシャ神話】~君塚正太によるゼウス、アポロン、ディオニューソスへの考察

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アテナイ・アクロポリスの丘とパルテノン神殿 画像引用元: Wikipedia

ギリシャ神話について

まず第一にギリシャ神話の根源をさかのぼると、そこには当然、人間の望みが具現化された。神々が現れてくる。

しかし、旧約聖書に出てくる唯一神ヤハウェと古代ギリシャの神々は全く違うものである。古代ギリシャでは神々は多数存在した。

けれども、聖書に出てくる神は常に一つだけである。したがって、そこで聖書と古代ギリシャの人々の神への認識はずれてくる。

傍目から見て、どうしてこのような違いが生まれてきたかは定かではない。

しかし、この現象を大きな視点から見ると日本と似てくるのではないか。古代日本でも神は多数存在した。

それと軸を同じくして、前述したとおり、やはり古代ギリシャにも神は多数存在したのである。

ゼウス

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ゼウス像 画像引用元: Wikipedia

ギリシャ神話の代表格としてはゼウスという神が挙げられる。

ゼウスの本来の役目は正義の象徴であり、他の神々が不正をした際にも、その神々を咎める神である。しかし、唯一神ではない。

いくら神々を統治する立場にあっても、人間たちには慈悲深く、司祭などを通じて神託を人間たちに与えていた。

しかし、ゼウスは名前だけは有名だが、その詳細については闇のヴェールに包まれている。

けれども、解る範囲で答えれば、ゼウスはギリシャの神々の中で一番最初に崇め祀られたものであり、

当初からほかの神々の頂点に立つようになっていたのではないだろうか。ゼウスは正義の神である。人間は当然、悪である。

なぜ、悪かと言えば人間の行ないには常に煩悩が付きまとうからである。あれがしたい、これがほしい等々のことを煩悩というのである。

その煩悩を全知全能の神ゼウスに問いただすことによって、人間たちは初めて自らの矮小さを知るのである。

だが、古代ギリシャでは年代の経過とともに徐々に神々が増えた。その原因は一つしかない。

人口の増加によって引き起こされた戦争のせいで、止む無く人々は神を増やすことによって、自分たちの欲望を充足させたのである。

アポロン(アポローン)

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画像引用元: Hatena Diary Chiezaru

まず、ゼウスに続いていくつかの神々が現れた。では、ここではアポロンについて語ろう。

アポロンというのは古代ギリシャ語で太陽を意味している。したがって、人々の信仰は当然、光り輝く太陽を崇拝することになる。

万物はアポロンから生じ、最後には天界に向かう。そう、昔の人々は考えていた。

なるほど、確かにコペルニクス的回転が行なわれていない、古代ギリシャの象徴は太陽、すなわちアポロンであった。

アポロンの上にはゼウスがいる。しかし、アポロンとゼウスは共存できるのかという問題が起きる。

そして、様々な神々が創られた訳であるが、やはりアポロンとゼウスの共存問題がなぞに残る。

だが、古代ギリシャではそれほど人々が、神を信仰していたのではないのである。

これについては世界最古のヒポクラテスの医学書にも出てくる。

日本の仏教とは違い、古代ギリシャの人々は神々を創りだしたのは、自分たちだと認識していた可能性が強い。

プラトン「パイドン」のソクラテスの死に方を見ると、そこに神々の姿はない。

あるのはただ人間がどうすれば、倫理を知るかという現実的な問題しかなかった。

ディオニューソス(バッカス)

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画像引用元: Wikimedia

ディオニューソスという神様は、日本語訳すれば酒神だが、その神様は天才のたとえである。

ローマ神話においては、バッカスという名で登場する。

なぜ、天才のたとえかと言えば、天才の恍惚とした感情は、自己陶酔であるからだ。

それは酒に酔っているのと似ている状態のため、ディオニューソスという神様が天才の似姿として、作られた。

オリュンポス山に登る時に「ディオニューソスの杖を携える者は多い。しかし、真のディオニューソスの杖を持つ者は少ない。」

という格言がある。

なるほど、自分で勝手に天才だと思っている者が、神々の住むオリュンポス山に登ろうとしても、到底頂上まではたどり着けないのである。

そして、天才にはもう一つの異名がある。それはデモーニッシュ、すなわち魔神である。

このデモーニッシュな感覚に襲われた者は、恍惚としながら、小説や詩、哲学、その他諸々の書き始める。

したがって、デモーニッシュとは崇拝されうるものではない。と、人々は思われるかもしれないが、それは違う。

デモーニッシュの感覚に襲われた時の異常さは、アリストテレスなどが述べている。

「詩人に狂気を持たない者はいない。」というアリストテレスの格言通り、まさしく天才とは異常なのである。

だが、古代ギリシャの神であるはずのデモーニッシュとディオニューソスは、今でも頻繁に出る。

この原因は、これは推測であるが、人々は天才という英雄を建立し、それを自分たちで崇めたかっただけではないだろうか、と思う。

 

文責: 君塚 正太, 編集: hiro-branco

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